本来の自然の姿を探ること

妊娠・出産に関わる医療介入は本当のところ何が良くないのか?そんなことをずっと考えてきました。単純に感情論だけで良いとか悪いということではなくもっとしっかりとした裏付けを掴みたいと。そんな中前回ブログに書いたレンゾー先生のセミナーの中でオステオパシーとは自然本来の姿を探すことだというお話にその根拠を見つけました。妊娠・出産には本来持っている連続した身体の流れが起こっています。それは決して飛び越すことなく連続でつながっていきます。でもそこに人工的な介入が入ると身体としては次につなげる状況ではないのに次の段階に移ってしまったり、本来の流れではない過程をとるということが起こります。そしてそれを身体が記憶する。以前オダン先生のセミナーを受講した時に胎児の頭の大きさがある一定以上に大きくならないのは経腟で生まれた身体の記憶が抑制をかけるからだというお話を聞きました。なので連続して帝王切開で生まれていくとあるいはその抑制が取れていくかもしれないと。それまでそのようなことを考えたことがなかったのですが、それからはこの身体の記憶ということの重要性を考えるようになりました。卵子が排卵して卵管を通り子宮へ進んでいくこと、精子が膣を通って子宮を目指していくこと、そして胎児が膣を通して生まれてくること等々。そういう一つ一つの本来の姿を身体の記憶として刻み続けることが未来につなげるために大事なことなのだと思っています。