ただ待つということ

皆さんは『いつ』という期限の決まっていない待ち時間をどれだけ過ごすことができますか?都会の分刻みの生活の中で私たちは知らず知らずのうちに時間の定まらない待ち時間を過ごせなくなってきているように感じます。私がそれを初めて意識したのは娘の出産の時でした。予定日前には生まれるだろうと思っていたのに予定日を過ぎても生まれず、いったいいつ生まれるのか?本当に生まれてくるのか?という思いは日を追うごとに強くなりました。食事の買い物に行っても果たして今夜は生まれていないのだろうか?明日はどうなのだろうか?そんなモヤモヤした日々を過ごし待つということの大変さを感じました。出産や子育てというのはそんな期日指定のできないただ待つ日々の連続です。いつ生まれてくるのか?今日か?明日か?明後日か?更に先のことでは寝返りすること、ハイハイすること、歩くこと、その先も全てが期日不明です。それをただひたすらにじっと待てることが大事なのではないでしょうか?人生のスタートである出産!赤ちゃんの大きさが十分だからとか陣痛が長引いて時間がかかりそうだからという理由でお産を早めるのではなく、その子なりのタイミングでその子なりの時間のかけ方で生まれてくることこそが大事なのだという考え方を持ちたいと思います。おっぱいも同じで出るようになるまでただただ吸っては寝てまたすぐ起きるその繰り返しをしながらただ待つのみです。時短時短と言われる世の中ですが子育てに時短はありません。ただじっと待つこと、その子のペースを見守ることが大事だと思います。